2019年05月18日

ある音楽家の物語。

その昔、現在のインドの辺りに一人の辻音楽家がいた。

弦楽器片手の旅すがら。

美しい娘と恋をしたり、各地の音楽家と親しくなり一宿一飯の恩義に預かることしばしば。

とにかく北から南、西から東へ人生をかけて訪れた先の旋律を身に付けていった。

いわゆる職業音楽家では無く、毎日やっと食いつないで旅をする。そんな生涯だった。

彼には夢があった。

世界中の音楽に触れて、そこから1つの様式を産み出したい。

そのためにも遠く東方にあるというジパングやリューキューという国々へ行きたい、港町で船乗りから聞いた話に心を躍らせていた。

その生涯では叶わない夢だったが、彼の魂は西暦1974年日本に転生した。

実は数度目の日本での誕生となる。

北海道に産まれ6年を過ごした後、引っ越した先はかつてリューキューと呼ばれていた沖縄。そこでの生活で三線音楽に触れ、十代は埼玉で和太鼓を叩く機会を得た。

これも両親を入念に選んでおいた成果だ。

青森出身の父は津軽三味線との接点や、北海道や沖縄、埼玉に暮らす直接のきっかけとなった。
母の故郷台湾や、進学でシンガポールへ行く機会を得て、それがゆくゆく多言語を駆使してアジア各地やヨーロッパへと進出するための素養を作る助けとなった。

その頃の日本は空前のバブル景気で、自身の努力無しに世界中の音楽や楽器に触れられた。

時代の恩恵を受ける一方で、グローバル化による文化の迎合や画一化を憂いて涙した事もあったが、それは杞憂であった。

土地や人の波動が形成する文化はその影響により結晶化する。

いつの時代でも、その土地と人々の文化はその根本的な要素を表す。

この人生の大きな目的の1つは、一旦インド音楽は隅に置いて。日本や沖縄の文化に触れた後にインド音楽に還る事だ。

だから、インド古典楽器のサロードを沖縄で手に入れても尚、師匠を探したりインドへ渡らずにいたのだ。

しかし、とうとうその日はやって来た。

沖縄で編み出した新しい様式のステレオサンシン。

インドの記憶と現世を結ぶエレクトリックサロード。

屋久島で出会った叶さとみのシンギングリン。インド音楽に不可欠な通奏音が、日本でここまでの物に発達しようとは。

そして、まだまだ旅は続く。

ある音楽家の物語。




5/30(木).31(金).6/1(土).2(日)の四日間。
横浜赤レンガ倉庫のイベントに出展します。
三線は棹、胴、ティーガとそれぞれ職人やアーティストの渾身の作。それらを組み合わせた一点物。
他にもベトナムで買い付けた、お手頃楽しい小楽器扱います。

https://amane.base.shop/


同じカテゴリー(旅のはなし)の記事
毎日旅でしょ!?
毎日旅でしょ!?(2019-05-05 19:06)

インドでの撮影
インドでの撮影(2019-04-21 12:23)

インドに来てます。
インドに来てます。(2019-04-13 11:56)

ハノイ仕入れ旅
ハノイ仕入れ旅(2018-10-24 11:08)


Posted by コウサカワタル at 22:12│Comments(0)旅のはなし
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。